㈱シンコーメタリコンに存在する最古の電気式溶射装置(1955 年)
1955年頃(昭和30年頃)に使用されていた新興メタリコン(現シンコーメタリコン)製の改良型電気式溶射装置である.1935年頃(昭和10年頃)に初期型が製作され,改良を重ね性能・使用勝手を向上したもので,現在でも使用可能な状態で現存しており,シンコーメタリコンに現存する最古の電気式溶射装置である.
1962年(昭和37年)に科学技術庁金属材料技術研究所(現,独立行政法人物質・材料研究機構)にて開発された減圧プラズマ装置の写真
1962年(昭和37)に当時の科学技術庁金属材料研究所にて,減圧プラズマ溶射装置を開発した.減圧プラズマ溶射装置の特許(U. S. Patent 3,893,618)が1973年に出願,1974年に特許化されたのに先立つこと約10年も前であり,世界に先駆けた日本での発明である.装置は現存しないが,この写真は装置の概要をしっかりと表している.
㈱シンコーメタリコンに存在する最古の溶射施工16ミリフィルム映画
1961年(昭和36年),東海道本線が全面電化となり,それを記念して「東海道電化完成展」(朝日新聞社主催)が京都で開かれた.当時,これに㈱シンコーメタリコンが出展した際,京都市内の企業3社とともに,技術革新をテーマに「明日に生きる」と題した16ミリフィルム映画を制作した.これが,㈱シンコーメタリコンに存在する最古の溶射施工映画である.その映画の中で溶射は,「鉄の錆による損失や災害を防ぐため」の最新技術として,サンドブラストや溶線式フレーム溶射施工,磁石式膜厚計による品質管理,滋賀県瀬田川洗堰の水門の扉へ現地施工にて防錆防食溶射を行う様子等が紹介されている.映画は,知らず知らずの生活の一部として技術革新による機械文明の恩恵を預かっていくこと,豊かな明るい暮らしは明日への希望につながることに感謝するとともに,これからも「明日に生きる」産業として,たゆみない研究と努力を力強く続けていくという内容で締めくくられている.
日本コーティング工業㈱に存在するロケットブースターノズルへの溶射施工風景写真
1950年代,わが国で開発が進められていた固体燃料ロケットのメインブースターノズル及び補助ブースターノズルのスロート部には溶棒式フレーム溶射でジルコニアがコーティング施工されていました.基材は炭素であり,溶射目的は高温下での耐エロージョン性を向上するためでした.写真(1965年頃)は,そのメインブースターノズルへの溶射風景です.カッパ,ラムダ,ミューそれぞれのロケットブースターノズルに施工され,わが国初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げを経て,2000年頃のミッションまで採用されていました.
㈱シンコーメタリコンに存在する半世紀以上前の電気式溶射装置
1963年頃(昭和38年頃)に生産された新興メタリコン(現シンコーメタリコン)製の改良を複数回重ねた電気式溶射装置.12台以上の当溶射装置が生産され,多くの溶射施工現場で使用された電気式溶射装置.非常に軽量コンパクトでハンドワークでの溶射施工に適していた.ラッパ形状のノズルを要し,溶射フレームをある程度収束させることが出来た.(大きさ:135×155×220 重さ:1,340g)
国立研究開発法人物質・材料研究機構に存在するプラズマ溶射した単一ジルコニア粒子の衝突現象の超高速度ビデオ
50μmのジルコニア溶射粒子が 170m/sの速度で石英ガラス基板上に衝突したときの変形・冷却挙動を毎秒100万コマの高速ビデオカメラで撮影したときの撮影像.中心部と周縁部で冷却速度に大きな差があり,中心部が凝固した後も,周縁部が広がっていく様子が記録されている.世界で初めて実際のプラズマ溶射装置によって発生させたジルコニアの単一溶射粒子が固体の基材に衝突する様子を超高速度ビデオで撮影し,解析に成功した.
ハード工業有限会社に存在するエアロジェットスプレイ ロケットガン150型型
コーケンテクノの前社名である溶射技術研時代に米国のブラウニング博士に出資して共同開発したHVAF溶射装置として世界で初めて製品化,販売された250型に続く小型な150型溶射ガン.当時この型式では日本で最初に溶射技術研が導入した.非常に重く,反動が大きく日本人の体格では大変な重労働であった(寸法 縦25cm横55cm高さ25cm 重量約5kg).しかしすぐにHVAF2が発売されたがこの装置は途中からプラクスエアー社からの販売に切り替わった経緯がある.HVAFの歴史を最初に創った装置として世界的にも珍しい装置.